新しい道を進む、
経営者として考える教育と未来
- 中川政七氏
- 株式会社中川政七商店
代表取締役会長
ブランディングと経営についてお話を伺うため、創業302年の老舗でありながら常に新しい商品やサービスを展開し続ける中川政七商店の中川政七氏を迎えた。しかし語られたのは、社長交代とこれから進もうとする「教育」という新たな道について。これまでメディアで語られたことのない、教育論が展開される。
社長を交代して、新しい道を進む
中川:
今回は、お声がけいただきありがとうございます。今日はとても楽しみにしてきました。実は、正直なことを申し上げると、対談の依頼はたくさんいただくのですが、お断りすることが多いのです。
迫田:
そうなのですね?今回は受けていただきありがとうございます。
中川:
依頼をいただいた時には、いつも必ずお相手のホームページを拝見するのですが、茶々保育園グループさんの「オトナな保育園」というコンセプトに興味をもちました。とてもおもしろそうなことをやっていらっしゃると思い、依頼をお受けすることにしました。
迫田:
それは、とても嬉しいです。ありがとうございます。
中川:
さらに私事ですが、2018年2月に中川政七商店の社長を退任しまして。
迫田:
とても驚きました。
中川:
私が中川政七商店の13代社長に就任したのは、2008年で34歳の時です。その時すでに「14代は中川家ではない人物に引き継ごう、自分が45歳になるまでに引き継ごう」と考え、公言していました。会社を成長させて経営を安定させるために、必要だと考えたからです。
迫田:
新たなスタートを切られたのですね。周りからは、退任は早すぎると言われませんか?
中川:
ええ。以前、NHKの番組で星野リゾートの星野佳路社長とお話しさせていただいた時にも、「45歳で引退なんて早すぎる」と言われました。「では、50歳で引退しよう」などと思い直したのですが(笑)、会社の体制も整い、気づけば考えていた時期よりも早く43歳で引き継ぐことになりました。
迫田:
今後は、どのような立場になるのですか?
中川:
中川政七商店の会長として会社を支えながら、新しい取り組みを始めようと考えています。
迫田:
新しい取り組みですか?
中川:
ええ。準備中ですので詳しい内容はお話しできないのですが、キーワードは「教育」です。そこで本日は、迫田さんに「教育」についてお話しをうかがいたいと思っています。
迫田:
教育に関することなのですね!ぜひ詳しくお聞きしたいです。
ブランディングで生まれる主体性
迫田:
中川さんは、「ブランデイングと経営」という観点でお話になることが多いですよね。
中川:
確かに「ブランディングと経営」というテーマで注目していただくことが多いのですが、最初からしっかりブランディングできていたわけではありません。
迫田:
そうなのですね。
中川:
私はもともと、社員個々の価値観にまで踏み込む気はなくて。社員には、各々与えらた役割だけを果たしてくれればよいと思っていました。しかし社長に就任して間もなく、ある店長に「社長が考えていることが、よくわからない」と言われたのです。「業務上の指示はしっかり出しているよ。何がわからないの?」と聞くと、「業務の指示ではなくて、社長が会社をどうしたいのかを知りたい」とのことでした。「思想的なことがわかると、現場は仕事をしやすくなる」と言われ、その時にずいぶん考えました。それまで私は、私個人の価値観を企業に持ち込むべきではないと思っていたのです。
迫田:
わかるような気がします。経営者のパーソナルな部分に触れることになりますからね。私も、母親が創業した保育園を引き継いで経営者になりました。経営者として「茶々保育園グループを社会の財産にする」ということをライフワークにすると決めましたが、同時に、スタッフを自分の人生に付き合わせることになるのではないかという迷いもありました。そこでスタッフと客観的に共有できるものを作ろうと思い、「オトナな保育園」というコンセプトを立てました。
中川:
企業が社会に向けてサービスを提供する時点で、すでに個人という範疇を超えています。そのように考えるうちに、掲げたビジョンに共感するならコミットして一緒に働いてくれるだろうし、共感できないのなら辞めるという選択になるだろう、その選択は従業員の自由だと覚悟がきまりました。そうして、企業方針や「日本の工芸を元気にする!」というビジョンが生まれたのです。
迫田:
スタッフ自身の「やりたいか、やりたくないか」という感覚はとても大切ですし、尊重したいですね。
中川:
ビジョンの旗のもとに人が集まり、全員が主体的に動き出すと、ビジョンの旗は経営者の手を離れていきました。船と同じで、最初に造ったのは船長かもしれませんが、時間をかけて船が全員のものになるのです。それは、人が育ち企業が育っていくということなのかもしれません。社長を退任したのも、船が全員のものになったからです。「今のこの船の船長は、自分ではない方がいい」と判断しました。
経営を通して気づいた「学びの型」
迫田:
これからは、新たな「教育」という道を進まれるのですね。
中川:
はい、そのつもりです。中川政七商店には、経営コンサルティング事業があり、工芸に携わる企業の経営支援や流通サポートなども行っています。主に「ブランディングと経営」という視点での支援になりますが、コンサルティングではクライアントへの寄り添い方が大切です。また、社内の人材育成を通して従業員と向き合うなかで、経営者として「教育」について考えるようになりました。
迫田:
コンサルティングも人材育成も、「人の育ちに寄り添う」という点で共通しているかもしれませんね。
中川:
そこで考えるようになったのは、「学びの型」というものです。
迫田:
「学びの型」ですか?
中川:
教育について私は素人なので、厳しいご意見をいただきたいのですが。経営者としての経験や子育てを通して、例えば「勉強ができる」ということは「うまくなる」ことだと考えるようになりました。
迫田:
「うまくなる」ということですか。もう少し詳しくお聞きしたいですね。
中川:
勉強ができるというのは「勉強がうまくなる」ということではないでしょうか。これは、サッカーであれば「サッカーがうまくなる」ということですし、仕事であれば「仕事がうまくなる」ということです。そして、「うまくなる」という構造は、すべてに共通しているのではないかと思います。
迫田:
なるほど。
中川:
何か新しいことができるようになる「学び」の構造は、共通しているではないかと思っています。それに比べて、学校教育は整いすぎていてプログラム化されすぎているように感じます。学校教育は「何も考えなくてもプログラム通り進めば、結果うまくなっていきますよ」という線路が引かれていて、その線路を走ることを求められているように思います。私自身も経験しましたが受験はその最たるもので、線路をいかにうまく速く走り抜けるかを評価されているのではないでしょうか。
迫田:
教育は時代に合わせて変わろうとしていますが、ご指摘のような点はあるかもしれません。
中川:
社会に出て、企業に就職した場合を考えると、企業の規模が大きくなればなるほど同じ仕事をしている人が何人もいます。多いときには30人くらいで同じ仕事をしています。仕事の内容が実質的には変わらない場合は、引かれた線路をうまく速く走ることは大切なことかもしれません。しかし、そうではなくなった瞬間に、どのように道を探すのか、どのように線路を引くのか、ということを考えないといけないのです。
迫田:
自分で考えなくてはいけませんね。
中川:
このような時に、学校教育でやってきたことだけでは対応できないのではないかと感じています。プログラム化された教育には、そのプログラムの前段階である「なぜ」「どのように」というものがありません。しかし社会に出ると圧倒的に、この前段階を考えることが多くなります。考えられないと止まってしまうのです。前段階は「うまくなるロジック」とも言うことができて、「勉強がうまくなる」「サッカーがうまくなる」「仕事がうまくなる」というような「学びの型」があるのかもしれないと考えました。
迫田:
「学びの型」が具体的に見えてきました。
中川:
子どもも大人も、このような「学びの型」を理解したうえで勉強すると、全く違う学びを得られるのではないかと思います。
迫田:
すべてにつながる「学びの型」という捉え方が新しいですね。
中川:
ありがとうございます。
迫田:
中川さんのご指摘は、国の指し示す教育にも沿うものだと思います。敷かれたレールをいかに速く走り抜けるかという教育は今まで求められてきて、教育分野では学力などの「認知的能力」を伸ばす教育と言われています。中川さんのご指摘のように、今後はおそらくレールごとなくなって、レールをどのように引くのかを考えることが必要になるでしょう。教育分野では、そのような変化の大きな社会を生き抜くためには「非認知的能力」を育む教育が必要だと言われています。これは、国語や算数などの科目とは異なるものです。「非認知的能力」は忍耐力、社会性、自尊心、思いやりなどが含まれ、このような力を獲得するためには、アクティブラーニングをはじめとする主体的な学びが有効だというのが、今の国の考え方です。今後、子どもたちが生きる社会は産業も大きく変わると言われていますし、子どもの半数以上は現代にはない仕事に就くだろうという指摘もあります。そのような世界を子どもたちにどのように託してくのかということは、教育分野で最もよく議論されるところです。
経営を考えて行き着いた、教育の世界
迫田:
小学校の先生たちにお会いすると「小学校に入学してから学ぶのでは遅すぎる。茶々さんお願いしますよ」と言われます。
中川:
遅すぎるのですか?
迫田:
このような嘆きを本当によく聞きます。ただ、小学校教育を前倒しすることを望まれているわけではありません。
中川:
それでは、どういうことなのでしょうか?
迫田:
2017年に教育は、保育所も幼稚園も認定こども園も、小学校以降の教育も、同じプラットフォームにあると法令で定められました。そのため小学校の先生たちからは、小学校教育の基礎となる力を保育所でしっかり身につけてほしいと言われるのです。業界の話になって恐縮なのですが、今回の法令で画期的なのは、これまでは幼稚園は教育機関で保育所は福祉施設という認識があったのですが、保育所と幼稚園と認定こども園が、乳幼児期の教育機関として明示されたことです。
中川:
教育の環境が整備されたのですね。
迫田:
乳幼児期の保育・教育を語るときには、「生活」が大切になります。乳幼児期の保育・教育は、国語、算数、理科、社会のような科目ではありません。日々の衣食住のなかに、国語、算数、理科、社会などにつながる概念があるのです。保育所では子どもたちを長い時間預かりますし、遊び、食事、着替え、寝る、など衣食住のすべてがあります。友だちや大人たちとやりとりすることで、コミュケーションの力も養われます。そのように考えると、国の求める教育に対して、保育所はしっかり応えられると思っています。
中川:
私が経営者としてずっと考えていたのは、教育はすぐに答えの出るものではありませんし、もしかしたら永遠に答えの出ないものかもしれません。私たちのように売り上げで結果がでる仕事に比べると、ある意味わかりにくいのです。それは見方を変えると「結果を問われにくい仕事」でもあるのだと思います。
迫田:
鋭いご指摘です。
中川:
経営コンサルティングをしていて気づいたのですが、大手企業を相手に教育っぽいコンサルティングをしている人がいます。自分でプロダクトを作るのではなく、プロダクトを作る人たちに気づきや教育を提供しているのです。それはそれで素晴らしいのですが、「結果が出ないから失敗もない」ということもできます。
迫田:
確かに、コンサルタントにとっては得な立場ですね。
中川:
ポジションさえ押さえれば安泰なのです。それを悪いと言っているわけではないのですが。ただ、日々しびれるような売上との勝負をしている立場からすると、そのような教育の世界には行ってはいけないという思いもありました。
迫田:
そうなのですね。
中川:
しかし、経営者として経験を重ねるにつれて、人が育つことの大切さを強く感じるようになりました。調べてみると、経営者が教育に関わるパターンは多くあり、灘高等学校や甲陽学院高等学校などの進学校も、実業家たちが創立したそうです。私は、進学校を作ろうとしているわけではありませんが、先人の経営者たちが教育に携わったことに深く納得しました。
迫田:
経営から行き着いた先が、教育だったのですね。
中川:
実は、中川政七商店では、上場の準備をしていた時期があります。あとは上場するだけというところまで進めたのですが、最後の最後でやめることにしました。その時に心に残った言葉があり、明治から昭和にかけて活躍した後藤新平という人の「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上なり」という言葉です。それが上場を思いとどまる一つの要因になりました。
迫田:
教育に向かう中川さんの思いを、表すような言葉ですね。
「子どもたちに一番近い社会」としての大人たち
中川:
「自分の遺すべきものは何か」と考えることは、子どもと社会との関係を考えることにもなりました。まだ社会に出ていない子どもたちにとって、社会を唯一知ることのできる窓のような存在が先生(教育者、保育者)なのだと感じています。
迫田:
本当にそうですね。茶々保育園グループでも「子どもたちに一番近い社会」が保育者だと考えていて、園のパンフレットにも記しています。子どもにとっての「初めての社会人」として大人はどうあるべきかを、常に問いたいと思っています。
中川:
働く姿を見た子どもたちが「こんな人になりたい」と思える大人が身近にいるというのはいいですね。
迫田:
ありがとうございます。ロールモデルは大切だと思っています。保育所は、子どもを育てるというよりは「子どもが育っていく場所」です。「育っていく」という概念の中で保育・教育をしています。子どもが成長したいという意欲をもてるように、大人は配慮しなくてはいけません。
中川:
経営者と従業員という関係と同じように、「大人と子どもの関係は対等であるべきだ」ということが「オトナな保育園」というコンセプトに込められているのだろうと受け取りました。
迫田:
ありがとうございます。そのとおりです。
中川:
そのように考えると、保育士さんは子どもたちから見られているのですよね。経営者が従業員から「この人について行って本当によいのか、ここで働くべきなのか」と見られているのと同じだと思います。経営者に裏表や嘘があると、従業員はついてきません。子どもたちの場合は「先生が嫌いだから、保育園を転園しよう」とは思わないかもしれませんが、「先生、好き!」というような反応として表れるのかもしれません。
迫田:
子どもたちは、そのようなシビアな選択をしていると思います。保育所は、サービスを受ける人(子ども)とサービスを選ぶ人(保護者)が分かれています。そこが一つの問題であり、きちんとした評価を受けられない難しさを感じます。
中川:
私たちの仕事でいうと、百貨店との関係に似ています。私たちの取引先は百貨店なのですが、商品を買ってくださるのはお客様という構図と似ています。この時に、百貨店によい顔をする企業が多いのです。でも私たちは、最終的に届けるのはお客様なので、お客様だけを見ることにしています。その一つの表れが、営業を置かないということです。
迫田:
営業を置かないのですか?
中川:
はい。百貨店担当の営業は、どの企業にも当たり前にいて、1週間に1回は売り場に顔を出して挨拶をするのです。でも、挨拶は売り上げを生みません。そのため営業を置かないのですが、当初はすごく怒られて「営業は誰だ?」と聞かれました。「コストばかりで売上が伸びないので、営業担当はいません」と伝えたらとても怒られました(笑)。しかし結果として、私たちの会社は飛躍的に売り上げを伸ばしたので、相手は何も言わなくなりました。
迫田:
それはすごいことですね。
中川:
お客様だけを向いて経営するのが、実は正解という気がしています。保育と経営を一概に語ることはできませんが、子どもはとても素直ですから、評価は如実に出るのだろうと想像します。
迫田:
子どもにとってよい環境は何か、子どもにとって質の高い体験は何かを考えながら、お互いに成長しあえる環境にしたいものです。大人はそのために何ができるのか、真剣に考え続けていきたいと思います。
- 中川 政七
1974年奈良県生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通入社。2002年に中川政七商店に入社し、2008年に十三代代表取締役社長に就任。2016年に中川政七を襲名。2018年に代表取締役会長に就任。製造から小売まで、業界初のSPAモデルを構築。「遊中川」「中川政七商店」など、工芸品をベースにした雑貨の自社ブランドを確立し、全国に約50の直営店を展開。2009年より業界特化型の経営コンサルティング事業を開始し、日本各地の企業・ブランドの経営再建に尽力している。2017年には全国の工芸産地の存続を目的に「産地の一番星」が集う日本工芸産地協会を発足。2015年に「ポーター賞」、2016年に「日本イノベーター大賞」優秀賞を受賞。「カンブリア宮殿」や「SWITCHインタビュー達人達」などテレビ出演のほか、セミナー・講演も多数。著書は『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』『ブランドのはじめかた』『ブランドのそだてかた』『経営とデザインの幸せな関係』(日経BP社) 『日本の工芸を元気にする!』(東洋経済新報社)など。